2018年06月25日
中部コミセン【ブラヨネザワ】参加してきました
ブラヨネザワ
中部コミュニティーセンター開館7周年を記念して行われた講演会です
講師は米沢市の九里学園教諭の遠藤英さんをお迎えして。
米沢市中部地区の歴史のお話をお聞きしながら
自分の住んでいる地域をより深く知ろうというもの。
100名を超える参加者
遠藤先生のお話は
歴史の話に入る前に
いま日本の旅行のカタチが変化していることから
1980年~2000年までのいわゆるバブル期の旅行は
安・近・短
息抜きになればどこでもよかった
しかしながら今の旅行は
より地域の深いところまで体験する旅行になっている
だから観光客はガイドブックにあるような情報はすでに勉強済で
もっと地元の人の生のオススメスポットとかを知りたがる
方言で話しかけられたらそれはとっても喜ぶ
そんな話から始まりました。
昨年度1年がかりで中部コミセンが作ったご当地かるた
さて・・・
講演の内容についてですが
それはそれは濃い内容な2時間
このブログ上で書ききることは難しいので
私が個人的にツボだったところを少し・・・
◎米沢城下の防衛戦略がすごかった
・なんせ戦国から江戸時代初期に最強といわれもっとも恐れられていた上杉軍
・かの信長公も武田攻略の際に謙信公に「攻めて来ないでください」と貢物を贈ったほど
・そして関ヶ原の戦いは実は家康の上杉征伐だったこと
・そして家康は上杉を滅亡させなかった→「義」の上杉を滅ぼせば家康は「悪」になってしまうから
・武田滅亡後の武田家臣を直江兼続が面倒を見ており、武田家臣は米沢に移り住んだ
・米沢城攻略の際にもっとも陣を張るのに効果的と思われる八幡原地区に前田慶次が住んでいる→つまり前田慶次をどかさない限り陣を張れない←ここが私的一番の鳥肌ポイントでした
◎米沢城が上杉神社になった訳
・神仏分離令と廃仏毀釈が関係ありそうですね
・後に松岬神社に鷹山公を分詞した理由もすごかった→謙信公は天皇家に仕えていたが鷹山公は天皇家とは全く関係がなかったから
生き残るために城を神社にし、鷹山公を別神社に分祀とかなかなかすごい事だと思います
・・・・・
歴史好きな私にとって
このブラヨネザワは最高に楽しくあっという間に時間が過ぎてしまいました